戦後のウォルトディズニーを支えた日本人「あの時代でも日本人は日本人か!」海外から驚きの声が
1925年生まれの故イワオ・タカモト氏。
第二次世界大戦時には日系人収容所のマンザナール強制収容所に収監。
そこで仲間からイラストの技術を学び高校時代に映画芸術への道を
歩こうと決意して19歳の春、ウォルト・ディズニー社に入りました。
戦後は『ミッキーマウス』『ドナルド・ダック』の仕事を与えられ
漫画の登場人物たちをデザインする有能なデザイナーとして活躍。
『スクービー・ドゥー』(当時の邦題:弱虫クルッパー)シリーズの
キャラクターデザインで名を馳せました。
その後もトップクラスのクリエイティブ監督として、
またアメリカにおけるアニメーターの第一人者としてご活躍。
2005年には、アメリカのアニメ組合ゴールデン賞を受賞。
そんな氏についての海外での反応をご紹介します。
■おれはずっと日本のアニメをみていたのか!? アメリカ
■スクービードゥーがカートゥーンじゃなくてアニメだったってことね。
■つまり俺は人生でアニメを三本見てたのか。
スクービードゥー、Wiki、アルプスの少女ハイジ。 アメリカ
■スクービードゥーのアニメーターが日本人だったなんて初めて知った。
確かに彼は移民だったのかもしれないけど、興味深い話だね アメリカ
アメリカを一番象徴したキャラを生み出したなんて知らなかった。
みんなが大好きだった作品の作者を知る機会ってなかなか無いからね。
アメリカで一番ってことはないでしょ。
間違いなくスクービードゥーより上だよ。
■俺が読んだ資料では、ロナルド・マクドナルドがかなり上位に居たよ。
■ミスター・タカモトはクリエイターじゃなくて、
キャラクターデザイナーだよ。
コンセプトやキャラクター、ショーを作ってたわけじゃないって。
■そうだけど、制作陣の一人を見てみれば結局彼にたどり着くよ。
■ここのコメントが見落としてることは、
彼が故郷と呼ぶ国が人種のせいで彼に牙を向いて、
悲惨な境遇に陥りながらも優れた人になったこと。そして、
大勢の子どもたちを幸せにしたってことだよ。
これが元気づけてくれないなら、いったい何が元気づけてくれると言うんだろう。
■こんなにダークな出来事が、あのおちゃらけたキャラに繋がってるなんて興味深い。
■今度LAに行ったら国立日系人ミュージアムに行ってみるといいよ。
当時の様子がよくわかるものがいっぱいある。
収容されたのは悲しい出来事なのに、
人々が力強く生きてたのがわかるのはクールだよ。
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